沖縄慰霊の日に思う


夏至の日も過ぎて6月もあと一週間を残すのみ。

早くも一年の半分が終ろうとしている。

そして今日は沖縄の戦後70年目の慰霊の日。

基地移設問題も先の見えない状態だが

改めて平和とは何かを考えさせられる。

確かに戦争が無ければ基地は必要ない。

戦争は地獄の様な苦しみと悔恨を残すのは事実。

誰も戦争を好きな者はいないはずなのに

いつの時代になっても地球上から闘争の種は尽きない。

民族も宗派も歴史認識もみんな違っていて当たり前なのに

それを自国の宗教や倫理感だけが正しくて他は認めない。

これで平和が維持できる訳は無いのだが・・・

動物愛護の問題も同様である。

生きる為には他の生き物を殺傷するのは止むを得ない。

農業や漁業をしていればすぐに判るのだが

現場を知らない傍観者は当然の様に批判する。

自然を守れ、動物を虐待するなと・・・

その当事者が毎日食している肉や魚は問題無いのか。

ペットは可愛くて牛や豚は可愛くないからか。

小さな魚は食べてもイルカやクジラはなぜ駄目なのか。

幼児にも判る様に説明して欲しいものである。

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憲法の解釈に思う


最近また国会で問題になっているのが

集団的自衛権の行使が違憲か合憲かについて。

元を正せば成立直後から曖昧なままである。

自衛隊の存在が憲法上何も規定がないのだから。

憲法9条によれば武力は永久放棄であり

戦力たる軍も武器も保持せずとある。

これを遵守するとなれば当然自衛隊は違憲だろう。

それを解釈の問題だけで戦力でなく自衛力とした。

それでも自国を守るだけなら自衛だが

友好国を守るのは最早自衛ではないだろう。

違憲か合憲かを言う前に現憲法が正しいかどうかだ。

間違った憲法なら改正するのが筋だと思うのだが

どんな悪法でも守るべきと唱える議員が多いようだ。

国民主権というならまず国民に改正の可否を問うべきだが

それを実行するには現憲法が障害という矛盾である。

いやはや全く困った問題である。

ヤマモモとアジサイ


6月に入ると目立ってくるのがアジサイの花と

田舎では良く食べていたヤマモモの実である。

残念なことに裏のアジサイはまだ小さなツボミだが

公園の植込みの中では鮮やかな青が目立ってきた。

ヤマモモの果実も少しだが赤く色づいてきている。

月末までには食べ頃に完熟しそうである。

しかし田舎の山中と違って公園の中では

勝手に取って食べる事も出来ないのが残念だ。

佐鳴湖の遊歩道上の枝の実なら少し位とってもいいかな。

タケノコや山菜は取るなと警告は出ているが

木の実については書かれていないので

枝を折らない限り問題ないとは思うのだが

それでも大量に取れば犯罪者になるのだろう。

でも誰も取らずに落下している実も多いので

少しもったいない気がするのだが・・・